出演者でダントツよかったのはニーナの
美波ちゃん。
表情の豊かさでニーナの心の動きがビシバシ伝わる。
劇中劇が位置の関係でまったく見えなかったことが心残り。。
演出家と舞台監督に説教したいくらいじゃ。。
マーシャの
小島聖さんもとってもグッジョブ。
こちらは終始暗い表情だけど
トレープレフへの視線を大事に演じてるのがよくわかる。
声もワントーン落としてニーナやアルカージナとの対比を出してた。
グッジョブ。
アルカージナの
麻実れいさん。
出てきただけで大女優の風格。さすがです。
マーシャとは反対に声をワントーン上げてる。
これはこれで息子を愛してはいるけど
それより大事なのは自分ですってな感じがよく出てるんだけど。
ちょっと全体的に軽過ぎない?
この役を麻実さんにって時点で
アルカージナに軽さは求められてないと思うんだけど。。
違うかな。。。
藤原竜也くんのトレープレフ。
思うんだけど。。。
こういう繊細なノータリンに藤原くんは合ってはいるのよ。 (← 褒めてます。)
ただね・・・このカンパニーの中で浮いてないかな。。
藤原くんのいいとこは役に真摯に向き合ってのめり込むところなんだけど。
演じてる自分を客観的に見ることも必要なんじゃなかろか。。。
もうそろそろ客観的視点を持ってもいい頃だと。。。
役にのめりこむことは悪いことじゃないけど
のめり込みすぎてまわりが見えてないと感じる時がある。
「身毒丸」はそれでもいい作品だけど
それじゃいけないことのほうが多いんだからね。。
一皮剥けることを期待。
鹿賀丈史さんのトリゴーリン。
悪くはないとは思うんだけどね。。。
なんか物足りない。。何だろ。。。。
存在感は抜群なのに
なぜかあまり印象に残ってないのね。。。
女優さんたちはそれぞれに役の個性を出しつつ
同じ空間にいることの不自然さがないのに
男優さんたちはどうも不自然さを感じた。。
役としてはもちろん、屋敷に滞在してることへの
居心地の悪さってのがあるんだけど
役としてじゃなくて、役者として舞台上の空間に存在する不自然さ。
ご本人たちが自覚してるかどうかはともかく。
一つのお芝居を作る上で、もし明確なゴールがあるとするならば。
そのゴールに到達するしないに拘らず
キャストスタッフが同じゴールを目指していれば
多少の難がどこかにあっても
それはそれで一つの芝居として心に響いてくるもんだと思う。
でも、この「かもめ」に関しては
演出家と役者(特に男性陣)は
同じゴールを目指してないような気がした。。
それを客席に座ってて感じたから
観にくいことの相乗効果で居心地悪かったんだと思う。
もっと観やすい位置で観てたら
感想がかなり変わる気はする。。
でも、来月2回もこの劇場に行かなきゃならんことを考えると
もういいやって思っちゃう。
劇場についてはまた後日。。。